一瞬

作業所から疲労して自転車で帰る途中、前を走っていた小3くらいの少女が、急に自転車を降りてかがんだ。何かと思って通りすぎながら見ると、彼女が伸ばした手の先にはクローバーの茂みが。
おそらく、例のを見つけたのだろう。その瞬間はっと思い、少し気恥ずかしいような、清涼な気持ちになった。大人がスマホばかり見ている時代に、良いものを見た気がした。
○リコンではないかという指摘は断じてあたらない。
しかし小学生の女の子というのは、見ると何か恥ずかしいような、甘美な気持ちになる。
やっぱり○リコンか。

ゆるやかな低下

昼飯に卵かけご飯を作ろうとしたら、卵を床に落とした。
べちゃ。静穏。
齢三十にして卵を落とす、というのは何ともいえない妙味がある。
これこそ、人生の黄昏という感じである。
30歳を過ぎると色々と低下し始めるというのは聞いていたが、やはりそんな感じはする。
この人生、どうしたものか。

まだ20代のニート・無職の同志がここを見ていたら、健康には十分気をつけられることをおすすめする。


もう少し

もう少しで連休が終わる。
いつも通り、不毛な日々を送っている。
少し外に出たら、店の入り口に祝 令和みたいな紙がいくつか貼ってあって。めでたいのだろうか?いや、変にひねくれても仕方ないのでめでたいことにしておこう。
親が見ろっていうからテレビも見たが、安倍首相の言葉で弥栄という言葉を初めて知った。いやさか。ワイの錆びかけた語彙力タンクに追加。
しかし、令和というのはよく見るとなかなか良い気がしてきた。
京都っぽいような。
それと平成31年の100円玉を見つけた。とりあえず保管。すでに平成が少し懐かしい気もする。

g w

ついに10連休がきた。
実家暮らしニートの中には戦々恐々としている人も多いのではなかろうか。
親戚なんか来たりすると生き地獄である。
うちはいとこが来る。正直面倒だが仕方ない。適当にやり過ごしたい。
しかし改元という非日常感が人々の意識を自分からそらしてくれるかもしれないという気もするので、まあ無職、ニートにとってはまだましなGWではないか。まあ状況による。
気分転換に遠出でもしようかとも思うが、遠くに行くと疲れきって気分転換にならないことも多いので難しい。金を使って疲れに行くというのは滑稽な光景である。
とりあえず今日はスーパーに菓子と飲料を買いにいこうと思うが、店も混んでいるだろうな。多めに調達したい。

不毛

土日はどうも気力が出なくて家から出ずに終わる。人生は何もしなければ日々だけが過ぎていく。今はいいがこの先に待つものは詰みだ。もっと自分を見つめねばと思う。対人恐怖症で自意識過剰の自分だが、意外にも自分の人生は置き去りである。自分の足元だけ見ていればいいものを、世の中の余計なものを見すぎるのである。自分の中に全てのものはある。

外出時にて

道ばたで爺さんが自転車で転んで倒れていた。そばには小3くらいの少年が二人いた。爺さんは何やらわめいている。骨が折れたとか言っている。何となく認知症のような感じがした。そばの子どものせいだと言って、子どもを殴るような仕草をしたので、殴るのはだめだと言ったら一瞬わめくのをやめたが、すぐまたわめきだした。周りに自分以外いないのでどうしたものかともたもたしていたら、おばさんが通りかかって警察に電話すると言ったので、とりあえずその人に任せて自分は去った。疲れていたし面倒ごとには関わりたくない。その後どうなったかは知らないが多分警官が何とかしたのだろう。今思うと、子どもに事の顛末を詳しく聞くくらいはすべきだったか。コミュ障はこういう突発的状況に困る。

4月

4月が来る。
嫌な記憶が多い月だ。桜は綺麗だとは思う。しかしそれだけではない気持ちが微妙に苦く混じる。
元号が変わる。自分には別に何でもいい気がする。穏やかな時代を願ってそういう雰囲気の二文字が選ばれるのだろう。
愛子さまからとって愛子元年とかでもいい。不敬か。